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【訃報】最愛の母が亡くなりました

実は、30日土曜日21時33分、

心不全のため最愛の母がなくなりました。

享年80歳。

5日土曜日にお通夜、6日に告別式を執り行い、

あの世へ母を見送ってきました。

 

火葬される前に

「あーもう母の姿かたちがこの世からなくなってしまう。

これが最後なんだ・・・」

と思ったら涙が止まらなくなってしまいました。

 

今日は、母の死から感じ、学んだ、完全に私的なことを

ダラダラと長く綴ってみたいと思いますので、

ご興味のない方はスルーしてください(汗)

 

また、私と関係の深い読者の方であれば

「なんで知らせてくれなかったんだ」

とお叱りを受ける方もいるかもしれませんが、

今回は故母の意思で、

家族葬に近い、母と面識のある、

極めて親しい方々による葬儀を執り行いましたので

ご報告が遅れたことをご理解いただけますと幸いです。

 

結果的には、実家の近所の方や、

私が仕事をキャンセルさせていただくうえで、

知らせる必要があった方々から供養のお花や弔電をいただき

結構盛大になってしまいましたが(笑)

 

昨年の暮れから具合が悪く、

ちょこちょこ実家に帰り

母の様子を伺うようにしていました。

9月くらいに

「冬が越せるか・・・そう長くはない」

と医者に告げられ、

毎週のように週末には帰るようにしていました。

 

10月に入ると、状態が更に悪化し、

「会わせたい方がいたら早めに・・・・、あと一週間・・・・」

と言われ、

「俺は強運の持ち主だから絶対に死に目には会える」

と信じて、週末だけでなく、平日仕事をしながらも、

極力母に会いに帰るようにしていました。

 

ところが、母の生命力が病気より勝り、

迎えられないと思っていた

10月22日、80歳の記念すべき傘寿の誕生日が迎えられ、

ベッドの上でしたが、ケーキを買って、

ささやかな誕生日会を開くことができました。

「神様ありがとう!!」

という感じでしたが、

27日ごろから更に病状が悪化をしはじめ、

昏睡状態?になってしまいました。

 

病院に泊まり込んだりしながら、

極力そばにいるようにしていたのですが、

その後少し状態が安定していたため、

30日土曜日の夕方、銀座で用事があったので、

「一旦東京へ戻るわ。明日また来るからね。じゃあね」

と、意識はないけど耳は聞こえていると医者に言われた耳元でささやき、

一旦東京へ戻り、用事を済ませて、

銀座のよくいく寿司屋で食事をしていました。

お店に入ってから少し時間が経つと、

付き添っていた姉から容態が急変しているLINEが届き、

「えっ!」

と戸惑って動揺してから、

5分もしないうちにすべての数値が0になり、

死亡が確認されたと連絡が入りました。

 

最初は何が起きたのかまったく受け入れられず、

よくわからなかったのですが、

涙があふれるばかりで何も考えられずにいました。

 

とにかく冷静になって「今何をすべきか」を考えなければと思い、

明日の始発、タクシー、終電など調べたら、

まだ終電に間に合うことが分かり、

とんぼ返りで電車に乗り込み

「こんなものか・・・・」

「今日東京へ戻らなければ死に目に会えたのに・・・・」

など、いろいろな思いが錯綜し、

涙を流しながら電車の中でいろいろなことを考えていました。

 

実家へ着いたのが夜中の1時ごろでしたが、

すでに亡くなった母は病院から実家に移されており、

時すでに遅し。

私は母の死に目に立ち会うことはできず、

亡くなった母と対面することになりました。

 

この日が来ることはわかって覚悟も決めていましたが、

やはり、身内の不幸は悲しいです。

お葬式が終わってひと落ち着きした今は

「寂しい」というのが本音です。

 

でも、けがや病気で急死したのではなく、

昨年の暮れくらいから徐々に病状が悪化していった状態だったため、

お別れをする時間が少し長くとれたので、

病室で母と二人だけでいろいろな思い出話や、

まだ聞けていなかった母の「思い」なども聞くことができたことは

ラッキーだったと思っています。

「おふくろは自分の人生振り返って幸せだった?」

と聞いたときに、二つ返事で

「幸せだったよ」

と言ってくれたことには救われました。

 

成人してからは涙を流した記憶は数回ありますが、

この一ヵ月で30年分の涙を流した気がします。

 

昔の女性(母親)らしく自分のことはさておき、

異常なくらい、時には人が嫌がるほどの深い愛情を、

家族や孫に注ぎ込んだ母でした。

 

決して人づきあいが上手だったとは言えない母でしたが、

病院関係者の方が、

こんなにもご家族の方が出入りする患者さんは珍しいと言われたのは

父はもちろん、姉、私、とその家族に至るまで愛してくれた証拠だと思います。

 

人生にいくつかの幕があるのだとしたら、

私の人生の中では一つの幕がおりたような気がしています。

今振り返ると、

一つ目の幕は、会社員を辞めたとき。

二つ目の幕は、上場させた会社を辞めたとき。

そして、三つめの幕が今回の母の死だったような気がします。

 

しかし、

一つ目の幕が下りたときは、

同時に独立・起業という新しい幕が上がりました。

二つ目の幕が下りたときは、

同時にやりたかった今の教育事業を始める幕が上がりました。

そして、今回三つめの幕が下りた分けですが、

正直どのような幕が上がるのか、まだわかりません。

でも、間違いなく次の幕は早かれ遅かれ上がると信じています。

 

納骨式が終わる来年1月以降だと思っています。

それまでは、限られたこの命、

誰のために、何のために使っていくのかを

改めて考え直してみたいと思います。

 

これを書いているのが告別式が終わった翌日の月曜日なのですが、

新たなる門出と思い、近くの氏神様へ立ち寄って参拝を済ませたところ、

「生命の言葉 平成28年11月」

というお札が飛び込んできました。

目を通すと

「世の中に 親に孝ある

人はただ 何につけても

頼もしきかな」

(文明から天分時代の伊勢皇大神宮神職 荒木田守武)

と書いてありました。

「両親に孝行を尽くせる人は、

どんな時でも誠実で頼もしい」

という意味だそうです。

このお札に出会ったのも何かのご縁かなと思い、

大切に保管しようと思います。

 

長々と失礼しました。

最後まで読んでくださった方はありがとうございました。

 

人生1回!

あなたの人生に作楽(さくら)が咲きますように・・・。

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