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母の死で考えたこと

■以前お伝えをしたように、

昨年の10月30日、最愛の母が亡くなりました。

いろいろありましたが、

前を向いて生きています。

その母の死を振り返って思うのですが、

子供というのは

親が授けてくれた骨格があって、

その骨格に子供自身の肉付けによって完成した「作品」

なのではないかと思うようになりました。

 

私でいうと、母が授けてくれた骨格があって、

自分の肉付けによって完成した作品が、

私自身なのではないかということです。

 

この場合は作品(子供)が、

満足した出来栄えのいい作品かどうかは別の話です(笑)

 

■私は小さいころ病弱で、

いつ死ぬかわからないと母は思ったらしく、

いつ死んでも後悔のないようにと、

だいぶ甘やかして育ててしまったと生前話していました。

今では健康な鋼(はがね)の肉体を手に入れていますが(汗)

 

それもあってか、親に勉強をしろと言われた覚えがありません。

でも、病弱だっただけで死んだわけではないので、

生きることを前提に躾(しつけ)だけは厳しく受けました。

ところが、中学生になると、母は急に私のやることに口を出さなくなったのです。

 

■あまりの豹変ぶりに子供である私も戸惑いましたが、

そのおかげで、

自分の行動に責任を持たなければいけないという心が芽生えるようになりました。

それでも、いついかなる時でも深い愛情だけは常に注いでくれていたことは

子供心なりに感じていました。

 

中学の時にちょっと悪いことをして

(本当にちょっとですから誤解のないように=汗)

これは相当怒られると思っていました。

 

ところが、母はそのことを

「若いころはいろいろあるよね」

と言わんばかりに笑って流してくれたので

「自分を信じてくれた」と思い、

自分には常に戻る場所がそこにはあるのだと

何かホッとした気がしたのを覚えています。

 

世界中の人が全員敵に回っても、

母だけは私を信じてくれる。

そう思った瞬間でもありました。

 

■やばい、このメルマガ書きながら涙が出てきてしまいました(汗)

母が生前

「子供は育てたように育つ」

と言っていました。

私はそれをパクらせてもらって

「部下は育てたように育つ」

とよく言っています。

 

そういう意味では

上司が授けてくれた骨格があって、

その骨格に部下自身の肉付けによって完成した「作品」が

部下そのものなのかもしれないと思うようになりました。

 

ですから、上司の仕事は、

たくさんの出来栄えのいい作品を作り、

社会に残していくことなのではないかと最近感じています。

 

自戒も込めて・・・・・。

 

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