■先日栃木県主催の「家庭の日」制定50周年記念行事
「心豊かな青少年を育む県民のつどい」
の中で、縁あって講演をさせていただいたのですが、
その第一部で、中学生の優秀賞に輝いた生徒さんが作文を読み上げていました。
そのタイトルが
【「いいね!」は本当にいいの?】
というタイトルだったのです。
■耳を傾けて聞くと、その中で
「ソーシャルメディアは真実かどうかよりも共感できるかどうかが重視される」
と言った類の話があって、
先日の日経新聞にも、たまたま同じような文面があったので
今日はそのことについてお話をしたいと思います。
■その生徒さんの話を要約すると
「共感してほしいから共感されるようなことを投稿するようになり、
それに共感をしてもらえるとうれしくなる。
そしてまた共感されるようなことを投稿する。
自分も共感をしてもらうために、
仲間外れにならないためにも、
人の投稿に共感をしたふりをする。
でも、それが本当の私なのかと疑問を持つ。
あるとき、対面コミュニケーションで
自分が言った意見に対して友達から反論を受けた。
でも、その時とてもすがすがしい気持ちになった。
これからは、共感される偽った自分より、
本当の自分を大切に生きたい」
という話しだった。
■確かに、ソーシャルメディアは真実かどうかよりも
共感できるかどうかが重視される傾向があるので、
そろそろ使う側の我々が、
その使い方(向き合い方)を
考える時期に来ているような気がしました。
便利なものであることは確かなので、
使い方によっては、自分が豊かになるサポート、
自分の成長を促すサポートもしてくれます。
でも、
「技術の進歩は人間の退化」
と言われるように、
その使い方(向き合い方)を間違えると、
毒にもなりかねません。
■先日私の知り合いのお子さんも
「スマホから離れられない」
「やり取りが始まるとなかなか終わらないし、
自分から終わりにすると、
どう思われるわからないので、
誰かがやめるまで続いてしまう」
「スマホがないと落ち着かない」
「スマホがないとイライラする」
「送ったLineにすぐ返事がないと心配になる」
など、完全にスマホ中毒になっているような発言をしていました。
■私もスマホを持つようになってから、
あきらかに読書の時間が減りました。
スマホがないころは、
ちょっとした空き時間でも本を読んでいたのですが、
ちょっとした時間なら、
「スマホでメールをチェックしたり
Facebookを確認したりすればいいや」
と思って、本を開かない自分がいます。
■最近は、意識して、極力スマホを見ないようにしたり、
持ち歩かないようにしています。
または、すぐに取り出せないように
カバンの中に入れておいたりしています。
あなたは、ITコミュニケーションツールと
どのように向き合っていますか?
「いけない、いけない」
と思いながら、
「しょうがない」
で済ませてしまっている悪しき習慣はないですが?
ぜひ、自分を豊かにするためにも、
さらなる自分の成長を促すためにも、
今一度便利なものとの向き合い方を一考してほしいと思います。