最近部下とやり取りをしていて、何かあったとき、
これって我慢?妥協?諦め?
なんて疑問がわいたので、
今日はそれについてお話したいと思います。
あなたは、
「我慢」とは?「妥協」とは?「諦め」とは?
と聞かれたら何と答えますか?
どのような違いがあると思いますか?
辞書によると、
「我慢(がまん)」とは、仏教の煩悩の一つ。
強い自己意識から起こす慢心のこと。
四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、
また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。
仏教では人間を固定的な実体として捉え、
自己に執着(しゅうじゃく)することを我執(がしゅう)といい、
その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。
「妥協(だきょう」とは、何かの物事を進めるにあたって、
関係する双方の意見が食い違い、
そのままではそれ以上の進展が望めそうもないときに、
いずれか一方が自身の意見を取り下げたり、
あるいは双方が互いに相手の意見を一部容認して、歩み寄りして、
問題の打開を図ること。
「諦め(あきらめ」とは、
もう希望や見込みがないと思ってやめること。断念すること。
などの表記があります。
「我慢」が仏教語だとは初めて知りました(汗)
難しいことは置いておいて、
仕事で使うのであれば、
我慢は、何かあったときに期間を置いて、
どうにもならなくなって
相手にフィードバックするときの待つ期間を
「我慢」というという定義はどうでしょう。
(私の勝手な解釈です=汗)
妥協はまさしく
本意ではないけど、
物事を前に進めるために相手に譲ったり、
第三案を提案して納めたりすることが妥協。
諦めは、
完全にそのことについて「投げたとき」「許した時」が諦め。
と言えるのではないでしょうか。
そういった意味では、
「我慢」をするというのは
「見守る期間」という解釈もできるような気がします。
私はセミナーでリーダーに必要な‘裏’能力という話をします。
それは「我慢力」。
きれいな言葉でいうと「忍耐力」「見守る力」ということです。
体験をさせながら、失敗を繰り返しながらも、
それを見守る我慢強さを持ち、
時間をかけて人を育てるということは、
本当に時間のかかることです。
もしかしたらリーダーにとって一番必要な能力は
「我慢」かもしれません。
「見守る力」ということです。
リーダーである人は、
それなりの経験や実績を積んできているので、
部下の仕事振りを見ていると
「いや~そうじゃないんだよね~」
「そこでそう言ったらだめじゃん!」
と叫びたくなるような場面が多々あります。
しかし、仕事を覚え、能力を磨いていくのに必要なのは、
たくさんの失敗です。
失敗をする前に、
リーダーが直ぐに手を差し伸べてしまっては、
せっかくの成長の機会を奪いかねません。
そこで、部下の成長のためにも、
多少は目をつぶっても見守る、
要するに、我慢する気持ちを持たなければいけません。
部下を持つリーダーになったら、
部下の成長過程では、待たされることの連続です。
非常に効率を求める今の企業では
相反することをしなければならないのが、
人の教育です。
人を育てるのに魔法はありません。
こういった日々の地道なコミュニケーションが、
人を育てていくのです。
あなたは「我慢」していますか?
部下を「見守る」ことをしていますか?